かずへろのひとりごと

誰も得しないブログ

便利になればなるほど、無駄な出会いがなくなる

どうも、かずへろです。

 

今日は、ニコニコでレンタカーを借りて、

近くのららぽーとに家族とお買い物。

 

FM802のカーラジオをつけると、

今の流行りの歌?それとも少し前の歌?か

よくわからないけど、今ドキの歌が流れてた。

 

小1の息子が、これ誰の歌?って聞くもんだから、

「よくわからない」と答えた。

 

息子は、「なんで知らん曲流してるん?」

Adoの楽曲「いばら」を流してくれと言ってきた。

 

「いばら」は、2023年5月9日発売されて、めざましテレビのテーマソング。

FNS歌謡祭ではじめて聞き、僕と妻がハマり、それが子供にも伝染した。

 

家ではアレクサにお願いして、よく聞いていたので、

息子は、車の中でも「いばら」を流してくれと言ってきた。

 

とはいえ、ラジオなんだからそんな都合よく、

「いばら」が流れるわけもない。

聞きたくもない曲も流れることもあるし、たまたま聞きたい曲が流れることもある。

そもそも、それがラジオなんだけど。

 

息子は、そんなこと言っても、

全然聞き入れてくれない。

結局、FM802を止めて、スマホで「いばら」を流すハメになった。

 

 

実は、僕が20代前半のとき、FM802ラジオをよく聞いていたことがある。

きっかけは、自分の知らない流行りの音楽や普段自分からは聞かないであろう洋楽とかの音楽を聞きたいと思ったからだ。

そこから、なんだこの曲は?と気になった曲は、googleで検索して必死に調べたこともある。

僕が、当時好きだったTHE BAWDIES(ボウディーズ)は、ラジオから知った。

かっこいい。なんだこの懐かしさ感じる音楽は!って感動したのを覚えている。

 

何が言いたいかって、

ラジオは、アレクサのようにぜんぜん自分の思い通りにならないし、

Amazonのようにあなたにはこれがおすすめです。なんてのレコメンド機能も、もちろんない。

 

ラジオは、出会いの機会をくれる場所なのだ。

 

本屋だってそうだ。ぼくはなぜか本屋が好き。

本といっても、自己啓発的な本を読むことが多い僕だけど、

無駄に立ち寄りたくなる。

おそらくそれも無意識に「出会い」を求めてる。

何か良い本はないかって。

 

 

話は戻るけど、

息子は、とても便利な世の中に育ってる。

デジタルネイティブってやつか。

 

当たり前のように、アレクサと会話し、

Youtubeは関連動画がバンバン出てくる。

検索すれば、ひとまず答えは出てくる。

 

便利になったことで、ラジオのような、

聞きたい曲もかかるかわからない効率の悪いものは、

息子からしたら、アホらしく思えるんだろうなって。

 

 

そういえば「無駄は、無駄じゃない」って、

あのイチローがどこかで言ってたのを思い出した。

あっ、息子はイチローのこと知らない世代ですけどね。

 

 

そんなことを考え出す僕は、

一歩ずつ「昔は良かった」という過去に囚われているおっさんに...

子供の頃に将来なりたくないと思っていた、おっさんに近づいてるんだろうな。

 

ちなみに、まだ ぴちぴちの35歳です。

 

 

 

 

 

 

 

 

新年明けましたことは、おめでとうございます

2024年元旦 午後4時ごろ、石川県能登半島地震が起きた。

なんでよりによって、元旦なんだよ。

そう思った人も多いと思う。僕もそう。

 

企業の新年の挨拶は、

「あけましておめでとうございます」から

「謹んで新年のご挨拶を申し上げます」に変わり、

お祝いムードが、一気になくなってしまった。

 

日本には「年賀状」を出す文化があるが、

身内の不幸があった場合には「喪中はがき」を出す。

それは「年賀状 = 新年の挨拶(おめでとう)」をしないことを意味し、我が家には年賀状を出さなくて良いよという意味でもある。

 

また、今回のような自然災害等の不幸な出来事があった際には、

TV等も自粛をはじめ、特番が組まれ、さらに暗いムードに変わる。

 

その暗い出来事が、まさかの元旦に起きた。

一番おめでたいはずの日に。

 

そして、そのムードは遠い話でもなく、

個人間でも「あけましておめでとう」を言いづらい年始になった。

言ったらダメなんじゃないか?友達同士ならいいのか?

親子なら...会社の先輩には?後輩には?彼氏彼女には?

LINEで送らない方がいい?

 

僕自身、

元旦に、明けましておめでとうございますの件名のブログを更新したが、

それを書き換えた方がいいのか?と迷っている。

 

何が正しいかわからない。

それなら、無難に「おめでとう」は言わない方がいいだろう...

そうやって、新年の挨拶を控えた人も多いのではないか。

 

日本全体が自粛をすることが正しいかどうかは人それぞれとして、

僕自身も人が亡くなったりしている以上、なんとも言えない。

 

でも、子供たちに震災のニュースを見せては、

震災で辛い目に遭ってる人が笑顔になれるぐらい楽しもうと伝えた。

それが僕の今の答えなんだと思う。

子供には嘘をつけない。

 

「おめでとう」は言ってはいけない、言わない方がいいのはわかってる。

でも、このままだともっと暗くなる一方だ。

 

どう新年お挨拶をしたらいいんだろう。

 

僕の答えは、

「新年明けましたことは、おめでとうございます」

 

新年が明けたことについては、紛れもなくおめでたいこと。

とはいえ、

被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

 

 

メルカリとAmazonどちらで本を買う?

僕が、中古本を買おうと思った時、

たいがいメルカリとAmazonを行き来していることに気がついた。

 

その理由は、もちろんどちらが安いかになるのだけど、

メルカリの価格はだいたいAmazonと同じくらいになっていることが多い。

僕もメルカリに出品する際に、Amazonを参考にするからよくわかる。

 

メルカリはなんといっても、送料込みが多いのが魅力的で、

Amazonは信用性とすぐに届くのが魅力的といったところ。

 

どちらのサイトも同じ価格で販売されているとして、

どちらで購入するだろうか。って話だ。

 

最近の傾向だと、メルカリの方が多いことに気がついた。

その理由は、写真の有無。

 

Amazonはメイン画像はあてにならず、ほとんどの出品者(店)は文字のみだ。

商品の状態が「非常に良い」と記載されていても、ちょっと疑ってしまう。

 

それに対し、メルカリは商品写真があるので、

帯付きか表紙は綺麗かなどの情報は、ちゃんと確認できる。

 

これは僕の偏見かもしれないが、

「帯付き」= 商品の状態が良いと思っいる。

 

子供と比較して申し訳ないけど、僕の子供たち(7歳息子、4歳娘)を見ていると、

本を購入したら、まず帯が邪魔だとむしり取る。

それだけでは終わらない。その後、表紙も邪魔だと破り捨てる。

 

帯付きで本を保管している読者は、

きっと丁寧に本を扱っているに違いない。

 

でも、この偏見は、あながち間違いじゃない。

本を売る際、帯付きと帯なしでは、売値が変わったりする。

はっきりとは言えないが、帯付きの方が早く売れる。

 

話は逸れたけど、

購入する僕たちは、商品購入の前の

不安の一つに、「失敗したくない」がある。

ネットショップはとくにそうだ。

写真や商品説明など、情報があればあるほど、安心する。

 

写真の有無は、とても大事だと改めて気付いた。

 

 

これまた余談だけど、

メルカリはどうしても出品者のハズレが多いのも事実。

1〜2日以内出荷なのに3、4日待っても出荷されないこともある。

 

僕は、そうなってしまった時は、

たいがいメルカリ注文をキャンセルして、

Amazonで買い直すこともよくある。

 

どのサイトが正解とかじゃなくて、

各サイトの強みを理解して、

無意識に使いこなしてる自分に驚いたって話。

 

 

何気ない日常に「変化」を感じられる僕になりたい

リアルでの毎日を感じたいと思い、日記を始めた。

毎日に何かしらの「変化」がないと、なかなか続かない。

とはいえ、そんなに都合よく毎日に「変化」が起きやしない。

 

朝起きて、仕事して、寝る。

通勤経路やご飯食べる時間など、

ほとんどはルーティン化している。

 

お正月や長い休暇がないと、なかなか非日常はない。

それでも日記を書こうと思うと、

何気ない日常であっても「変化」を見つけないといけない。

見つけるというより、感じるという表現の方が正しい。

 

今日は、お正月休暇の最終日。

家族でショッピングモールのAEONに行ってきた。

 

昼ごはん、何を食べようか。

その時、「変化」を意識している僕がいた。

 

AEONの後、IKEAに行ってきた。

妻は、すれ違う人や店員さんについて、

気になったことを僕に話してきたが、僕は何のこと?って...

観察力は、女性に見習わないといけないなとつくづく思った。

 

何気ない毎日が非日常と思えるような

小さな「変化」を感じられる僕になれたら最高だ。

 

 

 

リアルを生きたい。感じたい。日記を始めた理由。

今日は、家族と電車に乗って堺市立ビッグバンへ。

 

このひとりごと日記を書き始めたきっかけは、

日常をもっと味わいたいと思ったからだ。

 

普段、仕事ではPCと向き合い、

プライベートではスマホを肌身離さず持ち歩く。

そのせいで、リアル(オフライン)で生活しているはずなのに

オンラインで生活しているような気分になった。

 

オンラインの世界は、興味が湧く情報で溢れている。

でもその情報はほとんどがどうでもいい、はず。

 

家族と出かけたあの日の非日常の思い出も、

その時に見たオンラインの情報にかき消され、何気ない日常となってしまう。

そんな気がしていた。

 

とはいえ、PCやスマホから離れたいとは思わない。

むしろ、離れられない。それはわかってる。

 

僕は、もっとリアルを生きたいと思った。

もっとリアルを感じたいと思った。

五感を使い、非日常も日常も、心から楽しめるようになりたいと思った。

 

それがこの日記を始めた理由だ。

 

まだ日記を書き始めて3日程度だけど、

大きな気づきがあった。

 

それは、移動中の電車の中でも施設内でも、

トイレであっても、スキマ時間があれば、

スマホを見ている自分がいたことだ。

 

僕は、スキマ時間を有効利用しようとするあまり、

ながら運転ならぬ、(スマホし)ながら家族との触れ合いをしていた。

 

リアルで実際に体験したことが、

どんな情報よりも大切なのに...集中できていない。

 

 

そういえば、

自分のスマホの電話番号を知らない人がいるらしい。

電話帳に記録されているから覚える必要がないからだと思う。

 

僕は、さすがに自分の電話番号は覚えている。

だけど、妻の電話番号は残念ながら覚えていない。

何度か覚えようとしたが、通話履歴から電話をかけるので、

覚える必要がない。だからなかなか覚える気にもなれない。

 

面白いことに、自分の両親の電話番号は覚えている。

もっといえば、実家の電話番号も覚えている。

さらに、小学校の時に仲が良かった友達の家の電話番号も覚えている。

 

なぜだろう...

考えることなく、すぐに答えは出た。

デジタルに頼らず「リアルを生きていた」ということだ。

デジタルに頼らずというか、そもそもなかったから、覚えるしかなかった。

友達と遊んだあの頃の思い出が、友達の電話番号を思い出すたびに、

記憶が蘇ったりする。

 

それが、

リアルを生きる、リアルを感じるということだと思う。

 

家族と出かけた特別な一日を、

特別な一日だと心から感じられる一日にしたい。

 

これからも日記を続けてみようと思う。

 

 

あけましておめでとうございます

「あけましておめでとうございます」と、新年のご挨拶。

ごくごく当たり前だけど、子供の頃は、その当たり前が恥ずかしかった。

 

三が日に、親戚との集まりでは、

「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」

と挨拶をしてまわる。言いたくもないのに、親に言わされる感じ。

言いたくない理由は、本当に恥ずかしいってだけだ。

 

そんな子供の僕も、35歳。

小学1年生の息子と、4歳の娘に、ちゃんと挨拶しなさい!と言っている。

それに対して、恥ずかしそうで、うまく言えない息子と娘。

 

子供だった僕と同じだ。

 

大人になれば、子供だった自分を忘れていく。

だけど、親になってからは、子供たちにしつけをするたびに、

子供だった自分を思い出すようになった。

 

いつか、息子と娘も、

「あけましておめでとうございます」が、

言わないのが恥ずかしいと思えるようになるのだろう。

 

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子供たちはお金がなくてもどこでも遊べる。

それに対して僕たち大人は、すぐに何か道具や施設を探す。

お金がかかることばかり。

 

そんな、コスパ最強の子供たちがうらやましいと思いつつ、

大人になるにつれて、「何もない」ことを退屈だと感じる日が来ると思うと、

ちょっと寂しい気もする。

 

そして、もう一つ寂しいのは、羨ましいと思いつつ、子供たちの輪に

入りたくないと思う僕もいる。

入れないのではなく、入りたくない...

子供の輪に入っても結局、大人の僕は退屈になるのだろう。

 

子供と大人の世界はちがう。

子供は親から学び、親は子供から学ぶ。

学ぶ根本的な内容は少し違う。

それが何か今は、うまく表現できないけど、

とにかく僕は幸せだ。

それだけは言える。

 

娘に「痛いの痛いの飛んでいけ〜」。

こけて痛いはずなのに、その一言で笑って走り出す。

とても単純な娘だと思いつつ、

そんな娘に憧れる今日この頃。

 

元旦、お年玉をもらった娘は、駄菓子屋へ

4歳の娘。お年玉をもらい、ニコニコ。

「なんか知らんけど、お金もらった」ぐらいの表情だけれど、嬉しそう。

娘に、お年玉で何を買いたい?と聞くまでもなく、

「駄菓子屋さんで、お菓子買いに行きたい」と言った。

 

上限500円で自由にお菓子を選んでいいよということで、さっそく駄菓子屋に。

自分で小さな買い物カゴを持って、お金を払うところまでが完了。

もちろん、娘は自分で買い物なんてしたことはない。

だからか知らないけど、ちょっぴり嬉しそうだ。

 

付き添う僕は、何も口出ししないぞ!と意気込んでいたけど、

やっぱりダメだ...

娘が、えらい高いお菓子を選んでは、別の方がいいんじゃないとなだめ、

ハングル文字の韓国グミ?を選んでは、よくわからないから別の方がいいんじゃないと口出しをしてしまう。

極め付けは、ガムを選んでは、こっちのグミの方が良いのでは?と提案をする始末。

 

お会計時は、自分の小さな財布から500円を出し、無事お釣りをもらって、

自分のお金を出してのお買い物初体験が終了した。

 

「娘の好きなように」と意識するのは簡単だけど、

「娘の目線」で意識するのはとても難しい。

 

親(おとな)目線で考え、そのお菓子買うぐらいなら、こっちの方がコスパがいいなどと考えてしまう。こっちの方が絶対美味しいと。

 

子育てに正解はないとはいえ、

ちょっと娘にはまだお金の教育は早い気もした。